2008年11月6日木曜日

日本の秋


ここら辺の山もだんだん色づいてきました。

りんご(フジ)も色づいてきました。
そろそろ収穫時期です。

2008年11月3日月曜日

砥石米山城まつり

1010日と113日は、以前は、晴れの特異日だったのですが、最近はそうでもないような気がします。
今日も、雨こそ降らないものの、一日中曇り空で、すっきりしない日でした。
これも、温暖化等の地球環境の変化が原因なのでしょうか。統計を調査したわけではないので、実際には確率的には以前とは変わりないのかもしれませんが。

11月3日は毎年、「砥石米山城まつり」というのが行われます。
いつもは、僕は仕事でいけないときが多いので、過去には1度しか行ったことがありません。
今日は、久しぶりに、みんなで行くことができました。
子供達は、市内のおもちゃ問屋の出店と、砥石城の山頂付近の、やや平地になった所で行われる「宝探し」がお目当てです。
宝探しは、落ち葉が積もった広場で落ち葉の中に隠したフィルムケースを探すというものです。フィルムケースの中には番号が書かれた紙が入っていて、後で抽選会でおもちゃが貰えるというイベントです。
抽選は、司会のお兄さんが、くじを引き、番号を読み上げて、その番号と同じ番号の子供が並べられたおもちゃの中から、好きな物を選んでいくというシステムです。つまり、はじめの方で呼ばれた子供は、好きなおもちゃを選び放題なのですが、最後の方になると、ほとんどいらないと思われる物しか残りません。
家の子供達は二人ともなかなか番号が呼ばれず、やっと呼ばれたときには、良い物はみんな持って行かれてしまって、ろくな物が残ってなくて、結局選択肢が無くて、クレヨンセットと小さな亀のおもちゃを貰いましたが、かなり落ち込んでいました。
それでも、出店でエアガンを500円で買って貰って喜んでいました。


砥石城は、本城から南の砥石城、北の枡方城と南西の米山城を含めた総称でもあります。
(以前は、戸石城とも書いていましたが、今は砥石城で統一されているようです)
もともと真田氏の外城として築城され、その後、村上氏(村上義清)の手に落ち、世に言う「砥石崩れ」を経て、再び真田氏(真田幸隆)のものになりました。

砥石城には初めて登りましたが、結構急なところがあり、意外と大変でした。
一方、米山城は小学生の頃、遠足で登ったことはありますが、その時は、東側の金剛寺側の比較的登りやすい方から登りました。今回は、反対側の戸石城からの下りの途中から登ったのですが、こちら側からは急斜面で、ロープにつかまりながらじゃないと登れないほどでした。

多分2、3日後に筋肉痛になりそうです。

2008年11月2日日曜日

原田泰治の世界展

今、上田創造館でやっている原田泰治の世界展に行ってきました。

これは、新上田市発足3年目の記念として開催されている物です。
諏訪の原田泰治美術館でも見られない絵も含めて80点の原画が展示されています。

原田さん(敢えて先生ではなく、こう呼ばせて貰います)の絵は、ほのぼのとしていてとても癒されます。
パースが崩れていたりして、一見へたくそ?(失礼)と思っても、すぐにそれも計算で、わざとそう描いていると解るのです。
ほのぼのとした絵なのに、よく見るととても細かいところまで描いてあって、やはり実物を間近で見ないと解らない部分があるというのを改めて感じました。
雪景色や雲、水、たき火の煙など、微妙なものの表現力は流石です。

子供達は、すぐに飽きて帰りたいと言ってましたが、それは仕方がないことだと思います。
自分も子供だったら、強制的に見ろと言われても嫌なだけでしょうから。

このイベントに合わせて、別所線の車両と上田駅近くの上田ガスのガスホルダーに原田泰治さんデザインのラッピングを施したので今度はそちらも見に行かなければ。

ガスホルダーは、以前は、故石ノ森章太郎氏が上田マルチメディアセンターのオリジナルキャラクターとしてデザインした、SARUTOBi(さるとび)くん、Dr.タヌキオヤジなどが描かれていたのですが、今回、原田氏のデザインに変更されました。

できれば、以前のものも残して欲しかったのですが、例えば、南側に石ノ森氏、北側は原田氏と言うようには出来なかったのでしょうか。(石ノ森プロとの契約がどのようになっていたのかは知りませんが、普段見ることが出来ないキャラクターなのでもったいないような・・・)