2008年12月13日土曜日

上田城


昨日、カメラのキタムラに行ったついでに、天気も良かったので上田公園を一週してきました。

真田昌幸、真田幸村コンビにより徳川軍を2度にわたって敗走させた上田城は、関ヶ原の合戦後に徹底的に破壊され、現存する隅櫓や石垣は寛永3〜5年(1626〜1628)にかけて、仙石忠政によって新たに築き直されたものです。


真田軍対徳川軍の2度目の戦いは関ヶ原に向かう徳川秀忠軍を足止めさせ、関ヶ原の合戦に間に合わないという大失態を演じてしまったため、徳川のプライドが
城を破壊させたのでしょう。

東虎口櫓門と南櫓
丁度昼頃だったので平日でも人がひっきりなしに往来していました。
正面の門の右側の石垣にひときわ大きな真田石という石が埋め込まれています。


真田石

真田石の説明
真田昌幸(幸村の父)が上田城築城の際、太郎山から掘り出したこの大石を「真田石」と名付けた。  その子信之は松代へ移封のときこの石を家宝として持っていこうとしたが微動だにしなかったと伝えられる。  以来、文字通り上田城にそなわった礎石である。
と書かれています。



南櫓の石垣

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